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ベンチャークラブの概念は1926年に生まれました。SIロサンゼルスの会員であったマエ・カーベルが、実践的な職業指導の考えを基に、優れた将来性を備えた若い有職女性たちをメンバーとする青年グループをスポンサーすることを思い描いたのがはじまりです。その考えに基づいて最初の「青年グループ」が1927年彼女の指導のもとに結成されました。2番目のグループは、1931年ミズリー州カンサス市のチリー・ヴァンダイクのもとに結成されました。
以後、各地に非公式の「青年グループ」または「ジュニアソロプチミスト」が結成されましたが、それぞれの地域に独立していて、他のグループとの交流はありませんでした。その後スポンサーするソロプチミストにおいて、その手続きに何らかの統一性および一定の基準を設ける必要性が見出され、まず名称の統一を図ることが考えられました。
1934年国際ソロプチミストアメリカは、メリーランド州ボルチモアで開催された第3回2年期大会において、これら「青年グループ」をスポンサーすること、またその名称を「ベンチャークラブ」とすることを決議しました。この名称はイギリスの有職女性グループが、1930年にソロプチミストに合併されるまで使用していた「ベンチャークラブ」という名称を記念して復活させたものです。ただし、名称変更を希望しない2つの「青年グループ」については現状のままとすることを承認しました。(1938年ソロプチミストクラブアメリカ連盟第5回2年期大会議事録より抜粋。)この頃のベンチャークラブは、1人のソロプチミストがクラブ内の個々のベンチャー会員を個人的にスポンサーしていました。このスポンサーシップは、若い女性たちが市民としての義務を果たしつつ、分別のある大人の女性から指導を受けて、ビジネスの世界に参入できるようにするためのメンタリングの形態でした。ベンチャーのスポンサーシップは、女性の経済的進歩を確実にする1つの方法と捉えられていました。そして徐々その関係は、個人のスポンサーシップから、ソロプチミストクラブ会員全体の支援を受けるクラブ単位の公式なスポンサーシップへと移行していきました。
1938年には、15の「ベンチャークラブ」と2つの「青年グループ」が広くアメリカとカナダに分布していました。その17クラブは、ソロプチミストクラブアメリカ連盟第5回2年期大会において、アメリカベンチャークラブ協議会を結成することを許可されました。この協議会は、1964年の連盟大会で、ベンチャークラブアメリカ協議会
“The Venture Club Council of the Americas”と名称の変更が決議され、1966年の大会閉会後発効されました。更にこの名称は、1974年6月大会でベンチャークラブアメリカ“Venture Clubs of the Americas”(VCA)と変更されました。
ベンチャー協議会の領域は、当時のソロプチミストクラブアメリカ連盟の領域と同一にされました。連盟の名称が「国際ソロプチミストアメリカ」(SIA)と変わった後も、その規約はそのまま継承され、VCAの領域は同一にされていました。
日本におけるベンチャークラブの歴史は、1977年6月の京都ベンチャークラブの認証から始まりその後各地に新クラブの認証が広まりました。1984年5月12日、3年の準備期間を経て、ゼラ・ステンプルVCAガバナー会議長より小泉志のぶ初代ガバナーへ認証状が贈られ、ベンチャークラブアメリカ日本リジョンが誕生しました。以後、ベンチャークラブ日本リジョンは、SIA日本5リジョンのスポンサーシップのもと順調に発展と成長を続けてまいりました。
2004年6月現在、ベンチャークラブアメリカは、7リジョン、171クラブ、2,207名の会員を有しており、日本リジョンにおいては、136クラブ、1,652名の会員を有するVCA最大のリジョンとして発展を遂げておりましたが、SIA理事会においベンチャーの連盟機構を廃止することが決議され、それにともないベンチャークラブ日本リジョンは2004年6月末をもって解散いたしました。それ以後ベンチャークラブのスポンサーシップはクラブレベルで継続されています。
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